震災から5年くらいでしょうか.
福島県楢葉町に行ってきました.
本当は3.11のすぐあとに行くつもりだったのですが,
常磐線が運休とあっては行くこと叶わずでありました.
当時は高校1年であったと思います.
朝の5時台に自宅を出て06:14に上野に着き, そこから常磐線で水戸に向かいました.
現在のところ常磐線は一部未開通区間があり, 竜田から向こうに鉄道で行くことは困難です.
今回はその竜田駅に向かいます.
水戸駅から1時間ちょっとで福島県の勿来(Nakoso)に着き, そこから30分でいわき駅に着きます.
いわき駅から20分ほどで車窓に「震災の爪あとらしき」景色が見えてきます.
上の画像はおそらく民家の立ち退きが進んだ場所にスーパー堤防を造成しているところではないでしょうか.
なお, 手前の茶色い群落は車窓の曇を処理する過程でひときわ目立つようになったセイタカアワダチソウ(Solidago canadensis)という外来植物で, 決して野焼きや放火のあとではありません.
竜田駅のお隣, 木戸(Kido)駅には, 城の模型がある.
この模型は木戸駅の管理をしていた国鉄OBが製作したものといい,
この近くにあった楢葉城との関係があるのだろう.
いまだに木戸駅の南側には「仲之城」という地名が残っており, まさにかの有名な「Jヴィレッジ」があるところが楢葉城の城址といわれています.
そして11:25分には竜田駅に到着, 日本テレビ放送網株式会社のひとびとがたくさんおられます.
モニタリングポストがありましたので記念撮影.
0.168uSv/hなので東京都のおよそ5倍程度でしょうか.
いずれにせよ2億年程度は寝転んでいても問題なさそうな値です.
(2億年は冗談で実際には8000年くらい)
楢葉町役場の前にあるプレハブに幾つかの店がありました.
他に営業していそうな店はありませんでしたのでとりあえずコンビニらしきところに入り,
サンマフライなるものを120円で購入.
サンマフライというのは東京ではまず見かけません.
次いで, 横にラーメンを食わせる店がありましたのでチャーシュー麺を頼む.
作業員が頻繁に出入りしている店で混んでいたため写真撮影などはせずに10分程度で去った.
味はというと汁やメンマ, チャーシューは悪く無い味であった.
ただし麺の方は粘度が高く, こちらではあまり見かけないものであって...感嘆であった.
粘度の高い面は個人的に好きじゃあないのです.
この先常磐線の未開通区間です.
2019年までには全線復旧させるとか.
井出川という川らしきものがあったので行ってみました.
阿武隈高地が源流です.
そういえば双葉町には井戸川克隆というトンデモ鼻血芸人の方がいましたね.
町の長たるものが虚偽をもって風評被害を煽るような行為は断じて許せません.
政治的な話はこれくらいにして, この川にはサケが遡上するようです.
もちろんサケの捕獲は水産資源保護法にて禁じられているためできません.
福島第二原発を見学しようと歩き続けます.
途中で放棄されたサツマイモ(Ipomoea batatas)畑らしきものがありました.
掘って食べたいところですが私有地でしょうから辞めておきました.
5kmほど歩き続けると福島第二原発の排気塔が見えてきます.
このとき, 上空からどこぞのヘリに追い掛け回されていました.
最初は警察の原子力関連施設警戒隊かと思ったのですが....
あとで写真を撮ってよく見たところ読売新聞のAS365-N3でした.
まあ普通に考えて格好といる場所は怪しいけど前科前歴もテロリストとの繋がりもないですしね.
こんな電柱が...土地の主がわからんのです
結構たくさんありましたね
いらない土地があるならぼくにくれ
汚染土壌置き場, 駅より線量が低い.
1000000BqのCs137線源が1mの距離にあるとき0.08μSv/hの線量であることを鑑みればこのくらいでしょう.
※0.155uSv/hというのは足元に500万Bqのセシウム137があるということではありません.
さて, ここで重大な情報があります.
福島第二原発は見学不可でした.
事前にGoogleで調べたところ「営業終了」となっていたので自業自得なのですが...
つらいですね...
除染のために切り倒された杉
みなさんがよく見る杉はみな一様に丸いものでしょうがこの杉は....
放射線の影響ではありません.
杉が丸いのは一年に数回枝を落としているからです.
おそらくこの杉は30-40年以上手入れされていません.
林業の衰退が目に見えるようです.
もっとも, 林業のためではなく防風林として植えられたものかも知れませんが.
常磐線竜田駅方面を望む.
除染・造成工事がありとあらゆるところで行われており, いまやこれら復興関連工事なしに地域の経済は賄えないでしょう.
風評被害によって農業は壊滅しました.
放棄された水田の植物たち.
マンネングサの類かもしれません.
マンネングサは実に多様な形態を示すのでなんとも言えません.
全く違う植物かも.
楢葉北小学校, いわき明星大学のキャンパスに仮校舎を置いているようです.
いらない校舎があるならぼくに下さい.
いや, この校舎に戻ってこれるといいですね.
駅に戻ると線量が若干上がって0.182uSv/hでした.
雪の核に(雪は砂やホコリが核になって周りに水の結晶ができたものです)線源があるのでしょう.
駅に着くとちょうど14:46になろうとしていました.
楢葉町が黙祷を推奨するアナウンスをしたので若干ながら黙祷を.
これが正確には震災5周年最初の列車.
東京に帰ります.
また来年.
血迷ったぼくは...いわきで磐越東線に乗り換えて
キハ110系でいざ郡山へ
左側の席についたため, 小川郷駅を過ぎると夏井川が見えます.
夏井川渓谷は何と言っても....
圧 倒 的 渓 流 なのです.
よく広告に使われるような渓流がそこにあるわけです.
釣りができるようになったらまた来ようかしら...
横浜に寄って帰宅したのは24時過ぎ.
さんまフライなるものを食べてみます.
美味い...これはよいものですなあ
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